会長挨拶

この度、町会長となりました 和久こづえ と申します。どうぞよろしくお願いいたします。安心して暮らせる町づくりを目指し、皆さまのご協力をいただきながら、ともに進んでまいりたいと思います。
最近は極端な気候が多く、大雨や猛暑が予想されます。防災訓練の実施、そして皆さまに十分な情報が届きますようSNSの利用も検討中です。また色々な犯罪から身を守るため、防犯カメラ・防犯灯が皆さまの町会費によって設置されています。春秋の交通安全運動週間における児童の見守りや歳末パトロールも行われております。
コミュニティスクールの導入に伴い、徳持小学校と連携協働し、夏の納涼大会のお手伝いや各種イベント、地域と連携した授業の協力など、いろいろな取り組みが増えつつあります。
また、町会内に相撲部屋もあることから、一昨年前より大相撲観戦も始めました。さまざまな年代の方にも楽しんでいただけるよう工夫してまいります。
明るく楽しい、そして安心して暮らせる町会となりますよう願いまして、ご挨拶とさせて頂きます。
令和8年6月吉日
町会の紹介
地域の歴史
明治の初めころは東京府荏原郡徳持村と言い農家約50戸人口300名足らずであった。
明治22年近隣10ケ村を合併し池上村大字徳持となった。
大正大正12年の関東大震災を契機に区画整理されて今日の骨格が出来あがった。
大正15年東京市となり町制を施行、池上村は池上町となり、昭和7年都制が敷かれて
市郡合併により東京都大森区池上徳持町となりました。
町内自治としては、昭和15年徳持会館建設。会館の建設に当たっては、当時の町会長早川市蔵氏を始め役員の努力と町会員の協力で募金12,000円余建物金額8,900円余と伝えられている。昭和22年蒲田区と合併して大田区となった。
戦前戦中は徳持地域の西の区域を徳持西町会、東の区域を池上線を境に北を徳持北町会、南を徳持東町会と称し、三町会は徳持会館を共同の事務所として活動し、終戦を迎えた。
敗戦による占領政策で一時町会は廃止されたが、その後三町会の全地域を池上線を境に南北に二分し二つの自治会が発足した。
南地域は「おもと会」と称し、のちに防犯協会徳持南支部となり、その後徳持南自治会と改称した。昭和29年池上を加えて池上徳持南自治会と改称した。
昭和42年住居表示改正により池上徳持南自治会の地域は池上6丁目、池上7丁目、池上8丁目、東矢口1丁目(それぞれの1部)となった。
昭和50年池上徳持南自治会は、防災対策委員会を設置し、防災組織を結成して、防災訓練を重ねて不時の災害に備えている。
昭和53年4月、戦後30数年続いた自治会名を、本来の町会名に戻して池上徳持南町会と改称して現在に至っている。
(平成16年1月発行 会員名簿の「池上徳持南町会のあらまし」より抜粋)
各部紹介
〇総務部
回覧物作成及び配送、
各種募金(日赤募金、徳持神社祭礼寄付、赤い羽根募金、歳末助け合い募金)集計作業
紙類資源集団回収の計画・管理
定例会の招集及び当日の運営
班長・組長の異動調査と名簿作成 他
〇財務部
集金業務(集金台帳作成等)集金は年7回
支払業務(各種通帳管理、各種支払い<含む香典>等)
毎月末出納帳集計、年度末会計監査資料提出
〇防火防災部
防災訓練の企画運営
年末夜間警戒パトロールの企画運営(12月25日~29日の5日間)
〇防犯部
年末夜間警戒パトロールを防火防災部と共同で実施
防犯灯管理
防犯カメラの設置及び管理
〇交通部
春秋の交通安全運動(徳持小児童登校の見守り)運営
各種行事(お会式、ハートフルフェスタ等)の交通整理
〇消火部
月1回の操法訓練(発表会前毎週)
区操法発表会参加
〇文化厚生部
町会掲示板(20か所)へポスター等の掲示及び撤去
「赤ちゃん誕生祝い」「敬老祝い」運営
〇青少年部
「小学校入学祝い」運営
夏休みラジオ体操の運営
地区青少対への協力

町会区域
ホームページ
公開にあたり
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前・町会長の松原秀典です。
町会員の皆様には、平素より池上徳持南町会の諸活動にご協力を賜り誠にありがとうございます。
現在、新型コロナウイルス感染防止のため、町会員の皆様は不自由な毎日を送っていらっしゃることと存じます。
緊急事態宣言の地域も全国に拡大され、外出や人との接触もさらに自粛をせざるを得ない状況ですが、一日も早くこの事態を終息できるように心を一にして頑張りましょう。
こうした状況に鑑みまして、昨年来検討中でありましたホームページを急遽立ち上げることにいたしましたので、町会の活動や連絡等に少しでも貢献できれば幸いです。
ご活用の程よろしくお願いいたします。
(令和2年4月)

